こんばんは~
本日は、3回目となりました。
人を許すとは何か?の3回目です。
前の記事をまだ読んでない人は、そちらを先に見てください。
昨今発生する無差別殺傷事件について
無関係な子供や女性を傷つける事件が多発している。
2019年5月28日
川崎市登戸で起きた児童ら19人が殺傷された事件。容疑者が自ら首を切り死亡した。
昔から、こういった殺人事件はあったのかもしれないが
昔の犯人は、どちらかと言えば思想や主義の主張が動機になって発生していた。
浅間山荘事件等・・・
最近の犯人の傾向は個人的で稚拙な動機が多い
親がニートの息子を殺すとか、ニートの息子が母親を殺すとか家庭内でやっている間はまだ良い。
・・・
良くは無いか。
だが無関係な第三者を攻撃するよりはマシだ。
この流れは止めなければならない。
少なくとも、止めるための努力はしなければならない。
恕のこころについて
私の好きな言葉で「恕」(ジョと読みます) という言葉があります。
意味としては、「人のことを思う、考える、許す」と言う意味です。
漢字の形が「怒」に似ているから、なんとなく怒ってるって意味かな?と最初思ってしまいましたが、全然違いました(笑
女に又で{おこる}で、女に口で{ゆるす}なので面白いですね。
怒ることは、相手のことを思って、相手のことを考えて怒っているとも言えるので
本質的なことは恕も怒も実は近い意味なのかもしれません。
無関心でいることよりも、断然良いです。
論語で出てくる恕
孔子は弟子に、こう質問をされました。
「人生を生きていく上で一番大事なは何ですか?一言で教えてください」
孔子は
「恕のこころが人生を生きていく上で一番大事な事(かな)」と言っています。
まさしく、人生において一番大事な事は
相手を思い、考え、許していく事です。
まず、自分に対して恕の心を持つ事が重要です。
自分の都合の良い様に、甘やかして良いよと言っているのではありません。
他人を許す事が出来るようになるために、まず自分を許すのです。
自分には出来ない、無理だと、力不足だ考える事が甘えです。
それは自分の力を見限っているのです。
それは「恕=思いやる」事とは正反対の事です。
もっと自分を思いやり、奮い立たせることが「恕」なのです。
この事件の犯人は孤独だった。
犯人の周囲からは携帯電話やパソコンが見つかっておらず、同居する親族と会話をほとんど交わしていなかったという。「他人との接点が見当たらない」神奈川県警の捜査関係者はそう話す。周辺を取材すると、岩崎容疑者が社会的に孤立していた姿が浮かび上がる。
これは非常に恐ろしいことだ
昨日の記事で書いたように、
人は、教えられなければトイレに一人で行くこともできない。
誰からも、思いやりの心もらっておらず、考えてももらえなかった。
その為に、人を許す事ができずにいた。
ため込まれた恨みのパワーは、最悪な形で弱者に向かってしまった。
この事件を止めることは出来なかったのだろうか?
一番、改善しなければならないのは、犯人本人ダケにあると考えるのは間違いだ。
やはり、周りの人間にも「恕」の心が必要であろう。
恕・・・思いやり、考え、そして許す。
100%完璧に「恕」を体現する必要は無い。
出来る事だけでいいが、ゼロではダメだ。
お金よりも、ひと言の声かけや笑顔を見せることの方が100倍大事だ。
あなたの回り、親族にもそういった人がいないだろうか?
もし、いるのであれば少しダケで良いので「恕」の心で接して欲しい。
ソコから抜け出す方法はいくらでもある。
簡単では無いかもしれないが、無理では無い。
こういった、不幸な事件が少しでも減るような社会になるように、私も努力したい。
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